ちょこっとコラム 「愛トリについて思ったこと」 大府で幼児、小中学生のお絵描きならTRILLアートクラス!
ごめんなさい!今回は大人向けの少し難しい話です。
先月閉幕した、愛知トリエンナーレの騒動について。
今回の芸術祭は「表現の不自由展」をめぐって、思ってもいない方向での話題を振りまいてしまうイベントとなりました。
SNSを見ていると「表現の不自由展」に対して否定的な意見と、逆に展示に対しての文化庁の対応に対して物申す意見の双方が飛び交っていました。私もいろいろなことを思ったし、それを何かしらの形で発信したいとも思いましたが、できませんでした。
それは、僕が規制に対して反対でも賛成でもなかったから。
「不自由展はもっと賢く、したたかにやりゃー良かったし、文化庁の対応にも問題はあるよね。河村さんの言いたいこともわかるけど、市長の立場でそれを言ってもいいんかい?」
こんなあやふやな意見は、一つの意見として表明しにくいのです。
しかし
「文化庁の対応は検閲であり、表現の自由を侵害している!」
「国民感情を配慮しない内容で、なおかつテロの危険がある展示を続けるなんてとんでもない!」
といった、白黒はっきりした意見はわかりやすくて、発言した人の立ち位置も理解しやすい。
今回の騒動を見ていると(前回の選挙でも思いましたが)、一つの問題にたいして白か黒かの両極端の意見がやたらと目につきます。それは、前述のように極端な意見はわかりやすいからだと思います。問題による人の不安に対しては「わかりやすさ」は一つの救いになり、そう言った意見は多くの支持を得やすいでしょう。
しかし、本当は表に出てこないだけで、僕のように白でも黒でもないグレーな人達がたくさんいるはずです。そして、そのグレーな領域に、わかりにくいし美しくもないかもしれない、けれども(おおよそ)適切な「落とし所」があるのだと思います。
白と黒がコミュニケーションする中で、落とし所を探すことができない社会が今の社会だと言えるかもしれません。しかしそんな社会だからこそ、文化や表現は白とも黒とも割り切れない人間の感情を共有するためのツールであってほしいと僕は思っています。
お絵描きの先生として、今の社会を生きる子ども達に伝えられることは何があるのか、ぼんやりと考えています。